オチでキリギリスが生きてるタイプの『アリとキリギリス』もあれば、オチで猿が生きてるタイプの『さるかに合戦』もある。登場人物が死ぬのは教育上残酷で宜しくないという都合なんだろうと思うと納得できる。悪人や愚人は死ぬべきか否かという議題はデスノートで触れることができるので童話の世界線はどうでもいいのだが、勧善懲悪のストーリーはどうも殺伐としてる。『かちかち山』なんて大筋は少年ジャンプのバトル物みたいな作りだけど、内容は「老婆を撲殺した狸を溺死させる」というひどい始末である。保育園でお昼寝の時間が終わった後笑顔で紙芝居を読んでくれた先生はこの童話が児童に何を齎さんと期待していたのだろうか、ひょっとしたらこのお陰でバトル物のストーリーの流れを掴んで、字が読めるようになったときスムーズに少年ジャンプに移行できるようになった子は少なくないのかもしれない。僕はその前にコロコロコミックを挟んだ。時世の倫理観に話を曲げられてくたくたになったストーリーの童話よりは、ベイブレードでロシア人のクーデターを鎮圧してく話の方がまだ筋があると思う。

 

戯言

好き嫌いをはっきりつけたがる性分なので好かれ嫌われもはっきり分かるようだったら楽なのになあと感じる とはいえ自分や自分の好きな物が否定されると心が痛むから、そういったことを無効化できるだけのポジティブさを循環させ続けなければ 一体いつになれば強い自信が持てるんだろう 少なくとも昔に比べたら今はずっと自分のことを好きだと思うけど

何かを好きである事が自分と他人を隔てる壁にはもうならないと思うと、いよいよ自分が何が好きかさえアウトラインとして成立しない

 

ちょっと機会があってオーケストラの一員としてコンサートホールに乗った。

これまでも何度か演奏会に出る事は結構あったんだけど、未だに舞台に乗る事に慣れない。ゲネプロで練習してるときはいいんだけど、本番乗ると照明の強さが無駄に気になったりコンタクトのゴロゴロ感がやけに強く感じたり、ひどく喉が乾いたり、普段気にしてないのに近視でピントが合わないのに戸惑ったり、楽譜とか曲を邪魔するくらいにどうでもいいことに気が散ってしまう。緊張なのかなあ。。。と思っても頭の中は全然冷静だったり。とにかく浮遊感がすごい、あのボーっとしてる感覚は好きなんだけど、楽器を演奏しなきゃいけない義務感が鬱陶しくなって、出番が来ると「もうちょい待ってくれよ!」って思ったり、かといっていざ音を出してみたら楽しくて夢中になったり。

 

どろどろ

濃縮還元100%のジュースをフル還元しないで200%くらいで商品化すれば売れそうなのになあ......って思って調べてみたら、サーバーとか業務用のものとして既に使われてるみたい。ネカフェやカラオケとかに設置してあるあんま美味しくなさそうなドリンクバーでジュース淹れると濃い液体と水が同時に垂れてくるのとかそう。尤も100%でも十分美味しいんだけど、糖度が高い方が保存が利くだろうしカルピスみたいな感じで一本家に置けるやつを置いて欲しい。

つらつら

手帳のメモ欄に5行くらいの日記を毎日つけてるようにしてる。

大学生活は穏やかで楽しいけれど、非日常に足を踏み込む機会を積極的に作らないと刺激が頭打ちになって感じられなくなって、砂漠を歩いてるように淡白な生活を続ける羽目になってしまう。環境を変化させる金や行動力の足りない人間には本人にとっての刺激の閾値を下げるのが手っ取り早く、日記はその記録としてとても重宝する。 

将来見返したときに懐かしみが還ってくるようなイベントがあればそれを内容にすればいいんだけど、しかしながら授業やらバイトやら課題やらで一日が進んで、本も読んでなければ人とも喋らないような日が来る日には数行と言えども書く事に困ってしまう。淡々とあった事を時系列で並べるのは書いていて面白くないし、読み返す値打ちも生まれない。そこで最近は手記を書くとき頭の中を整理して文章にした方が楽になることをまとめておくようにしている。良かった事を書き出せば胸がほっこりするし、悪い事を書き抜けば解決できるところも見えてくるかもしれない。

僕自身は2年生になってから週3日ほどがルーチンワークで全日埋もれていて建設的なことができないのが悲しい。日を跨ぐ度にPSの古いRPGの画面変移のロード時間みたいな空白が空いて、自分が死ぬとき流れる走馬灯はその部分がスプライシングされてるんだなあと思うと相対的に寿命が減るような感覚に陥ってしまう。外面的な生活リズムの重複しているところを消したら何も残らなくなるくらいに中身の薄い生活を送ってるけど、同じ一日は永久に戻らないと思うと結構可愛く見えてくるから大切にしたいなあと思う。

 

徒然と

1年くらい前にFC2ブログを立てて往年のテキストサイト的なコンテンツを目指そうとしたけど自分の文章とファンシーなデザインが噛み合なくて結局続かなくて、かといってFacebookみたく「今から深イイ話しまーす!」って感じにすると「いいね!」の数がそのまま「友達」の数に正比例するのが現実の延長みたいで全然面白くない。twitterアーカイブの記録が弱くてtwilog取らない限り2000〜3000ポストくらいで遡れなくなるし、140字の制限があるとせいぜいメモとかブレインストーミングの用途に文章を組む方に頭を使ってしまうせいで日記としての性能が弱いのでブログを始めた。

はてブのシンプルなデザインは飽きないし、スマートフォンで見るのに労をかけない程度に軽くて薄いレイアウトだから疲れない。例え見る人がいなくても日記として個人で活用できて、かつ客観性があって誰が見ても読み物として成立する程度には言葉選びに気を使いたいと思う。夏だし。